豊島区、千川駅近くのわかしま内科のブログです。
ブログとしての投稿がしばらく追加できていません。5月25日からグループ2のC型肝炎のインターフェロン治療(ソホスブビル + リバビリン)が保険収載され、来週の月曜から投与を開始する患者さんも居ます。そういった専門的な話もアップしないといけないのですが、それよりも先に書きたいことがありますので、それを優先します。
患者への禁煙指導、具体的に禁煙補助剤を投与する医療は池袋の専門性のあるドクターに頼んで実施しています。成果のあがる良質な医療の提供のためには、それぞれの得意な者が分業すればよいのであって、何でも若島が引き受けることが最善とは思っていません。でも、禁煙外来への誘導としては、タバコの継続の是非と禁煙のメリット、なぜタバコを吸うのか、タバコはあなたに必要なのか、といった話は外来で行なっています。そのときの喫煙者の患者から若島への質問に多いのが、
どうして先生はタバコを吸わないのか、吸わなかったのか。
という質問です。その答えにからんでくることを日記にします。
私が中学生の頃の話です。1970年頃の話ですからもう45年前で、「時効成立」と思いますので書きます。 私は文京区にある中学校に通っていました。ある意味恵まれた環境の学校でした。在校生は皆優秀で優等生であるし、その家庭も多くは裕福な家庭であったのだと思います。(例外はいくらでもあったのでしょうが)
その学校ではそうそう生徒の「不良行為」は見られなかったと思います。あっても、水面下のことだったのかもしれません。記憶に間違いがなければ中学3年生になったころに、タバコを持って来た男子が現れました。水面下でない表立ったかたちで、タバコが出現したときには私はおどろきました。私はタバコを吸ったことがなかったです。友人が学校だったか、校外活動のときだったか、タバコを持って来て友人たちに勧めだしたのです。友人たちの標準的な反応がどうだったのか、今となっては記憶が定かではありません。幾人かはそのタバコを貰ったのかもしれない。幾人かは断ったのかもしれない。後日同窓生に聞いてみたいものです、「君はあのときどうした?どう思った?」と。
タバコを勧めていた同窓生はとても裕福な育ちの男子でした。まず最初に書きたいのは、裕福な男子が彼なりに同級生に友情をこめてタバコを勧めたのは、純粋ピュアなことだと思います。彼にとってのタバコは小遣いの範囲でか入手可能な物であって、しかもそれなりに「旨かった」のだろうから、みんなで仲良くやっている中学校で同級生に振る舞うのは当然のことです。独りで隠れてこそこそとタバコを吸うのはイヤラシイし、友情あふれる行動ではない。彼ほどお金に余裕がないから自分だけ吸っていた、そういう私の同級生も居たのかもしれないですね。少なくとも学校で友人にタバコを勧める太っ腹の男子を私が最初に目撃したのは彼だった、それだけのことかもしれない。タバコ吸いのみなさんのタバコとの出会いはそういうふうに、凄く親しい友人との思い出であったりするのかもしれないですね。
当時の私のスタンスはどうだったか?学校ではほどほど優等生ヅラして過ごしていた。人にタバコを勧めたその男子ほど同級生想いの男子だっただろうか、回りに人が集まる人気のある男子だったか、自信がありません。そして、残念なことに(もう私の両親も亡くなっていてこれも時効だと想いますが)裕福な育ちという表現とはまったく逆、そういう育ちでした。裕福な育ちの子供はある面、イイヤツが多い。私のコンプレックスでもあります。私の親は毎日百数十円のお金を渡してくれて学校に送り出しました。私の中学校は給食がなかったので、友人たちの多くは弁当を持ってきていました。私は毎日3年間、学校の玄関脇に来てくれていたパン屋でパンを買って食べました。親に貰った金のうち50円近くが残りました。これが私の小遣い、貯金になりました。親は弁当を作ってくれないが、毎日50円の小遣いをくれていたのだから、それでも幸せなほうであったのかもしれません。
50円単位の収支計算で生活していた私にはタバコは贅沢品であります。裕福な男子から金をとられるわけでもなく、タダでタバコを勧められたのだから素直に受け取るのも賢い選択であったと、今の私なら考える余裕があります。でも、当時の私はそれを貰う気持ちにはならなかった、了見が狭かったのかもしれません。友人を大切にしていなかったのかもしれない。本当の男子同士の友情を知っていたのは、私でなくで彼だったのかもしれない。ちなみにそのとき彼が勧めていたタバコはハードケースに入った高額の外国タバコであったように記憶しています。(当時の私の父親は安いタバコ、いこい、か何かを吸っていました。)
つまらない話、グチのような話を書いてしまいました。とにかく、裕福な子弟の多い学校の裕福な男子が初めて私にタバコを勧めたこと、私が男の友情よりも狭い了見の判断、タバコはいけない、タバコは高い、タバコは私の立場に不相応だ、という判断で、私はタバコを断ったように記憶しています。それ以降中学や高校でタバコを誰も勧めないから吸わないままに大人になってしまった、そういうことなのです。それで私はタバコを吸わないのです。タバコ吸いの大人に禁煙を勧めるときに私はいつもする質問があります。「私はタバコを吸わないが、はたしてタバコを吸わない事で失うモノは何かあるだろうか?」「私は食後のタバコの一服をしたことがないが、それで食事が美味くないと思った事はありません」「タバコを吸わないことで、ストレスが溜まったり、仕事がはかどらない、そう思ったことはありません。本当にそうなんですかねえ?」身体やこころへの効果がある、そうタバコ吸いが思っているその効果は実はマボロシであったり思い込み、誤解であったりしないのか、そういう問題提起であります。私が判らない、言い切れないのは、タバコがあったらもっと中学や高校の同級生たちをたくさん生涯の友人にできたのかどうか。タバコがあったらもっと親しく深く交際できる女子の友達が出来たのか。私にはその答えはありません。
この中学の友人のエピソードは、名前を伏せてときに患者に話をしてきました。それが真実、私がタバコを吸わなかった理由だと思っていたからです。そして、今月5月に中学の同級生たちから、知らせが入りました。彼は亡くなったとのこと。私と同じ58歳。進行した肺癌であったとのことです。一瞬医者である私は、「また友人の一人が亡くなってしまった。同窓会とかを早くやらないと、そう言って時間を無駄に過ごしているうちに、また一人亡くなってしまった」「また同級生の癌での死亡を防げないままになった。友人や同僚が癌で死ぬのは困るとブログに書きながら、自分に出来ていないことをまた指摘されてしまった」そんなことが頭に去来し、その知らせをくれた友人にもそんなことを話して帰しました。でも、そのあとに残った思いは別です。「禁煙のすすめを患者に話すときに私が使ってきたトークのなかに出演してくれていた、その中学の友人が亡くなったのだ、そのトークには肺癌で死ぬというあまりにも真っ正直なオチが着いてしまったのだ。。。。」ということです。
オチが着いてしまったこの話は今後私にとって、どういう扱いになるのか。いままで以上に患者に語れる材料になるのか、この話はそろそろ封印する時期がきたのか、もう少し考えたいと思っています。
そして、また私が思うのは、60歳が近づく歳になり、友人や学校の先生、昔出会った人間のなかの誰が本当の恩人であり恩師であったのか、そういう疑問です。今もしばしば会いたくなり、会っている相手だけが親友で恩人なのだろうか。よく理想のような存在であった先生のことを友人たちは恩師として崇めて思い出を語ります。でも、そういう先生だけが恩師であったのだろうか。あの先生、ちょっとアレだったよな、なんて話が同窓生との間で出る事もある。亡くなった彼も、私の友人でありなおかつ「恩人」であったのではないだろうか。
私は言葉をよく知らない、国語能力の低い、そういう育ちだけど、「反面教師」という言葉がある。パソコンの辞書は「悪い見本として反省や戒めの材料となる物事、人」という文言を自動的に示してくれるけど、その「悪い見本」という決めつけたようなニュアンスは、前半の反面に引きずられすぎた部分じゃないかと感じます。後半の教師という部分が活きていない。タバコを勧めてくれた中学の同窓生はまことに私の「教師」であったと思います。「恩師」に匹敵する影響力がありました。その教えを胸にもうしばらく生きていこうと思います。